僕らが老人になった頃



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この100年、科学技術の発達はこれまでのどの時代にもなかった程急進的なものです。特にここ何年かは人工知能も驚異的なスピードで発達しています。

マトリックスばりに新しい技能を人間にインストールして、技能を習得できるのも遠くないとも言います。
(ところでこういう最先端技術みたいのって、どこかで見聞きしてから全然実用化されないのばかりだよね。)

そんな時代では過去のアーカイブはすべてデジタルで記憶され劣化せず、また、勘や経験も手軽に誰でも習得できてしまう。
そうなった時(恐らく僕が老人になった頃だ)、老人は今のように敬われる存在足りえるだろうか?

現在の社会ではご老人は、まあ一般的に敬われる存在であり、そのような文化というのは僕も好ましく思います。

それは大雑把に言えば、過去何百年、何千年もの間、ご老人とは過去の知の宝庫であり、多くの経験を持つという、功利主義的?に言えば「有用な人」だったからではなかろうか。

アフリカでは老人が亡くなると1つの図書館を失ったと表現するそうですが、正にそんなイメージです。

そうであるならば、その条件がデジタル技術によって置き換わってしまった将来、我々のようなその時代の老人はその新しい社会に受け入れてもらえるのでしょうか。

いや、その頃には老人の方もいつまでもアクティブでいられるようになって、そんなことは大した問題じゃなくなっているのかも知れませんね。